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家で療養すること 家で死ねるということ

カテゴリー:地域で医療する楽しさ 更新日時 2017/06/21

 これからの時代、人はどんどん高齢化し、その一方で子どもたちは都会に出て行き、老いた父母が子どもと老後を過ごすことはきっと減るのだろうなと思う。

 今、年間約130万人の人がこの日本で亡くなっているけれども、2025年には150万人、2040年には160万人が亡くなって、若い人たちがさらに減っているという状況になると分析されている。

 この人たちはどこでどうやって亡くなるのか。病院で死ぬとしたら、ベッドは間に合うのか、死ぬために治る見込みもないのに住みなれた家を出て都会の病院に行くのか、等々を考えた人たちが地域包括ケアシステムということを考え、その中で病院ではなく家で医療を受け、家で最期まで暮らし、家で死ぬことを提案している。

 きっと、その方が良いのだろうな、と私も思う。年をとり、治る見込みのない病気になった時、病院は安心ではあっても豊かな時間が過ごせるところではないと思うから。その安心だって、いつか死ぬ時は死ぬとしたら、少し早いか遅いかだとしたら、どうだって良いことかもしれないとさえ思える。むしろ家族に囲まれて、なじみの先生や看護師に診てもらって、飼っている犬を撫でたり、庭の草花を眺めたりする時間がどれほど美しく貴重かと思う。たとえ、独居でもそうやって自分の時間を好きに使いたいと思うだろうと思う。

 だからといって、それを実現できている人は決して多くはない。

 私たちの病院が在宅医療に力を入れようと無床の在宅療養支援診療所になって5年目が過ぎたけど、この五年間に家で亡くなれたのは16人に過ぎない(人口7000人余りの町でこの数が多いか少ないかはわからないけれども)

 でも、声を大にして言いたいのは、環境が恵まれているから実現できた訳ではなく、本人や家族の意志とある種の覚悟(たとえば、家族がちょっと出かけている間や寝ている間に亡くなるかもしれないとか)があれば可能だし、おおむね苦痛は緩和可能だ。そして、何よりも、そうやって最期まで自宅で過ごすことができた人たちは遺されたご家族も含めて、とても豊かで幸せな時間を過ごし、お亡くなりになった後のご家族は悲しさの中にも達成感と清々しさを感じておられた、ということが私たちの喜びでもあった、ということで、これからもますます、在宅医療をがんばろうと思っているホームケアクリニックあづまなのです。

介護療養型老健あづまの里は一歳になりました 老健・クリニックへの転換と 最期までこの町で

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