ドクターブログ たくさんの小さな光に囲まれて

新たなる一年

カテゴリー:地域で医療する楽しさ 更新日時 2008/01/03

2008年が明けた。「去年今年 貫く棒の ごときもの」という有名な句があるが、最近思うことは大切なこととは「貫く棒のごときもの」であるということ。
  医療を取り巻く状況は年々悪化していく。後期高齢者医療制度 介護療養病床の廃止 お金がないからしかたがないよねという論調の中でこれまでこの国を支え てきた人たちが、これから国から支えてもらわなくてはというときに医療・介護・福祉の切り捨てに遭う。すなわち地域も病院の経営も厳しくなっていく。自治 体病院さえも切り捨てられていく時代だ。
 でも、だからこそ、と思う。地域に密着し、地域と共に大きな時代の波に揉まれてながらこの病院は生き抜いてきた。第二次世界大戦、度重なる冷害、農業も林業も時代の波を被ってきた。そして、どんな時代も人はその中で喜びや輝きを見いだして生き抜いてきたのだ。
  私達の病院だって、今、大きな波を被っている。都会にあるような医療設備もないし人も不足気味。でも、都会にはない喜びと輝きがある。人と人がふれあい、 信頼し、育て合っている。そう、まさにこの病院を支えているのは地域や患者さんやスタッフが素朴な願い「人が温かな思いで暮らしていけますように 健康と 安心の暮らしを支えあいたい」を共有できているからだと思うのだ。
 膵臓癌でターミナルケアだったさとこさん(仮名)との出会いもそうだった。
 

  

 末期の膵臓癌と診断がついてからも、さとこさんには何度も帯広に行って、黄疸対策としてのステントや十二指腸閉塞対策としての胃ー十二指腸バイパス術など最新の医療を受けていただいた。末期ではあっても医療の恩恵を受けて緩和ケアには成功してきた人だった。
 でも、そんな彼女の最期の望みは「もう、他の病院には行かせないで」だった。「そんなこと考えていないから、ここで最善を尽くすから、安心して」そう伝えると、彼女の目尻から静かに涙が流れ落ちた。幾筋も・・・・
  普段感情を表に出さず、痛みやだるさにもじっと耐え続けてきた。大きな声で笑うこともないが声を荒げることもない。そのさとこさんが見せた感情の断面。バ ルコニーに植えられたミニトマトを喜び、他に何も食べなくなっても「美味しい」と微笑んだ。「自分の家のトマトと同じ」と・・・・
 彼女の残りの日々が少しでも心休まるものであって欲しい。ご家族と私達は同じ思いで支え続けた。
 ご家族からは時々畑でとれたにんじんや大根の差し入れをいただいた。
それはさとこさんが長年北の大地でご主人と共に丹精してきた畑でとれた甘い野菜たちだった。その野菜をいただき、元気もいただいたような気がする。
  さとこさんの最期もさとこさんらしい穏やかで静かな最期だった。痛みらしい痛みもでないまま、ご家族に見守られて亡くなられた。亡くなった後でお風呂に入 れて差し上げると、さらに穏やかな顔になった。頬もうっすら紅をさしたようになって、やせてはいてもお元気な頃のさとこさんに戻ったようだった。
 「十分尽くしたから悔いはない」ご家族の方の言葉が私達の胸にしみる。
そう、どんなに大変でも、心を通わせることで私達は乗り越えていけるのだ。地域や患者さんと共に・・・・
 今年もきっと良いことばかりではないだろうけれども、その中できらきら光るたくさんの小さな輝きを支えに、私達はより強固なチームワークで乗り越えていきたい。大きな抱負より小さな望みの集合を大切にしながら。

地域医療事始め75年 お悔やみ訪問の意味

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