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船出の時

カテゴリー:クリニックのこと 更新日時 2024/05/10

 大門先生が退職して地元に戻られることになり、一方、私は医師になって二度目の一人医師体制に突入する。二人ともに新たな海に漕ぎ出す時が来たのだ。

 

 思えば31歳で先代院長である父を亡くし、先輩医師たちに無茶だと言われ、心配とやんわりとした反対を受けながら、卒後たった5年で足寄での医師生活を始めた頃のことは無我夢中すぎて最早思い出すこともできない。頼りないねえちゃん医者が診察室に座って偉そうに(本人にはその自覚はなく、ただただ必死に「ちゃんとした医者」であろうとしていただけ)していたので外来患者数は急降下した。何もわからないからそのことに危機意識すら持てず、経営とか考えることもせず、ただただ診察室に座って来る患者さんを診察し、入院患者を診ていた。たまたま時代が老人医療無料の時代で病床が埋まっていたことと父が着手していた労災の白蝋病の患者がいたことで辛うじて経営破綻しないで職員の給料を出すことができていたが、経営の実態は火の車だったことは後に知ることになる。

 ことに父は亡くなる数年前に病院を増築していたので億単位の借金が残されていて、無謀にも私はそれを引き継いだ。そんなとき、救世主として現れたのが後の私の夫となる池田裕次だった。彼のおかげで外来患者数はV字回復したのだが、その後もスタッフが極端に不足したり、池田に怒られすぎて(私の力量不足でもあるのだが)パニック障害となり、外来に出るのが怖くなる時期も経て今に至る。

 

 その時代、祖父の死から数年後に父と祖母の死が立て続き、母にとっては両親と夫を相次いで喪うという本当に困難な時だった。そして、その後父の残した借金を完済したのに今度は新たに夫と二人で借金をして病院を新築し、結婚して10年余で夫は病を得、彼は72歳で亡くなった。

 だから、一言で言うと私の人生はすこぶる不運である。だが、不運であっても不幸ではない人生であるとも思っている。それは困ったときに必ず助け支えてくれる人が現れるという奇跡を見てきたから。父が亡くなった後に池田が来てくれた。池田が病を得たときに大門先生か来てくれた。誰かが辞めると代わりに来てくれた誰かが支えてくれて活躍してくれた。多くのステキな出会いに恵まれ、スタッフの成長を見た。

 

 そして今、この船出の時も地域の方々や患者さんたちが支えてくれて、なによりもホームケアクリニックあづまを必要としてくれている、そのことに私が支えられている。と、同時に共にがんばろうとしてくれているスタッフがいることに守られている。

 これが幸せでなくて何だろう。幸せとは必要とされて生きることだと心底思う。自分の欲や得や感情の赴くままに生きることではなく、誰かのために生き、必要とされ同時に支えられている人生こそが幸せな人生なのだと。 

 船出は同時に幾ばくかの不安も伴う。大門先生と私、そして新たなホームケアクリニックの船出が困難であっても豊かで喜びに満ちたものであること信じ、心から願っている。

 

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