カテゴリー:日々清々 更新日時 2020/03/11
この日、東日本、特に東北の太平洋側を襲った津波という未曾有の災害、そして生まれた数え切れないほどの悲劇。新聞でテレビでその凄まじさが露わになっていく日々に同じ国民として、その事実を知らなければならないと思う気持ちと同じくらい目を背けたい思いの中で過ごしていた。
そして、その四日後の3月15日、私の母が突然逝った。前日の夜、福島県に住む親戚の無事を信じているという会話をしたのが母の声を聞いた最後だった。
大切な人を何の心の準備もないままに喪うことの衝撃とその後に続く永遠かとも思える悔恨の時間。
いくつもの「なぜ、あの時に」
かけなければいけなかった言葉、かけてはいけなかった言葉、しなけれならなかったこと、してはいけなかったこと。
今も彼の地の人たちもまた「なぜ、あの時に」を繰り返しておられるのだと思う。
その後、私は長い間グリーフの只中にいた。突然、脈絡もなく襲う悔恨の嵐が少しずつ減り、思い出すことが痛みよりも静かな悲しみと温かな懐かしさとなるまで数年間を要した。
そんなある日、仏壇の前にいる私の胸の中にすっと母が入ってきたような感触が生まれた。生まれてからずっと「最も近い他者」であった母がその時から私の中で融合した。そしてそれはとても暖かな感触だった。
被災された方たちのそれぞれのグリーフの今を思う。少しずつでも痛みから悲しみへ、悲しみから懐かしさへと変わっていってくれることを心から願う。喪った者たちはたしかに戻らないけれども、喪った者たちが遺した思いの意味や価値を私たちがより深め輝かせることことができると信じている。
被災地大槌町に「風の電話」という線がつながっていない公衆電話があって、そこで亡くなった人へ電話をかける人が絶えないという。
私もいつか行ってみたいと思っている。そして伝えきれなかった思いを存分に伝えたい。思いは伝わると信じて。
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