カテゴリー:日々清々 更新日時 2022/08/23
芸能人の自殺のニュースが断続的に続いた。きっとそれに心を揺らされている人たちもいるのだろうと想像する。
これまで心療内科医として私は少なからず患者さんたちの「死にたい」に向きあってきた。そこでわかったことがある。「死にたい」は本当に「死にたい」のではなく「今が死ぬほど辛い」ということだ。
私も思春期の頃、なんとなく「死にたい」と思ったことがある。真剣で切実なものではない思春期の風邪のようなものだったが、茫漠と続くであろう未来が見えなくて不安でそこから逃げ出したいような気持ちや、平凡な日常がどうしても徒労の積み重ねにしか感じられなかった。未熟さ・若さというものだったと思う。
今思えば平凡な私はその平凡な「日常」にどれだけキラキラを求めていたのだろうと若い私に笑いかけてあげたいくらいだ。そして、その不安や徒労感は若い私が誰かから必要とされたいと願い、「何者か」になろうとしていた反動でもあったのだろう。
若い私がなにげに死にたいと訴えた先輩は私の気持ちを否定せず受け入れてくれてこう言った。
「二十歳までがんばって生きてみて。二十歳になっても死にたかったら私は止めない。今は無理に前向きにならなくて良いから、ただ生き延びてほしい」と
翻って今の私の前で「死にたいと思うほど辛い」と言う人たちの「死にたい」はより切実だ。自分の存在の意味に自信と確信が持てなかったり、学校や職場そして家庭で温かな信頼関係を失っていたり、実際にいじめ等で省かれたりした経験がトラウマになっている場合も少なからず見受けられる。
だからこそ、私は死んでほしくないのだとお伝えする。今が苦しくて悲しくてみじめに感じているのなら、その最中に死ぬことはあなた自身にとってこそ残念なことなのだと。そして、うつ病などの病気が明らかな場合は「死にたいと思っているのはあなた自身ではなくてあなたの中の病気が思わせているのだから、病気とまず闘ってほしい」とお伝えし、必要に応じて精神科入院もお勧めする。
これを読んでいてくれている人たちにお願いしたい。
もし、死にたいほど辛いなら、小さくて良いから声に出して言ってみてほしい。
「私は今死にたいと思うほど今はつらいのだ」と
そしてその声が届いた周りの人は必ず声をかけてあげてほしい。
「生き延びてほしい」「あなたの気持ちをちゃんとわかってくれる人はいるから」
私の先輩があのときの私の言葉をどう受け止めてあの言葉を言ってくれたのか、わからない。もしかしたら、どうしようと悩ませてしまったのかもしれない。でも、その言葉で私は微熱のような「死にたい」を忘れた。もし、だれかの「死にたいほど辛い」と言うつぶやきを耳にしたらどうか聞かないふりをすることはしないで小さな声で伝えてほしい「大丈夫 あなたの声は聞こえているよ」と
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