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自らのグリーフワーク 母の百日忌

カテゴリー:ターミナルケア  更新日時 2011/06/22

 今日は母の百日忌。
 百日忌は卒哭忌とも言って、泣くことを卒えて、気持ちを切り替えましょう。という意味らしい。
 とはいえ、母に急逝された娘としては、気持ちが切り替わるのは何時のことだろうと思わざるをえない。
 専門家の目で自分を眺めてみれば、「病的悲嘆」の範疇に入りつつあるのかなと思ったりする。

 なので、今日のブログは、ターミナルケアに関わる医師としてというよりは、大切な人を失った一人の娘のグリーフワークについて綴ろうと思う。

 

 

 亡くなった当初は状況へ何とか適応しようとして緊張しきった状態が続いた。今は少し緊張がほどけて、むしろその分感情が脆くなっている。ちょっとしたことで涙が出てくる
 
グリーフワークのエキスパートのロバート.A.ニーメヤーのグリーフワークの課題「自分の気持ちを比喩で表してみる」をしてみると

『母 が亡くなってしばらくは、荒縄で縛られて深くて暗い井戸の底に吊されているような痛みが間断なく襲ってきた。心がとても痛いと体も痛いのだと思った。寝て も覚めても、母のことを考え、母の思いを推し量り、母の人生を何度となく行き来した。そのたびに自分の至らなさを思い知らされて自分を責めた。
 しばらくして、荒縄はほどけており、痛みは残るものの、軽くなっていた。体は井戸の底に着いていて、私はそこに座り込んでうつむいているだけだった。
 上を見上げれば遙か頭上には青空があり、かつて私が暮らしていた日常があるのだろうけれども、見上げる気持ちにはなれないし、むしろ母のことだけを考えて井戸の底に居たいような気持ちが続いている。
 頭上を見上げ、はしごを探し、登る準備を始めなさい。というのが百日忌の意味かもしれない。そう、励ましてくれる母の声も聞こえるような気もしているが・・・・』

 思えば、母は私の戦友であり、ライバルだった。乗り越えるべき相手が強靱であるということは、娘にとって幸せだったのだと思う。結局私は母にはついに、敵わなかった。
 
  母は57歳で夫を亡くし、同じ年に祖母(母の母)を亡くした。31歳の私が札幌から戻ってきて、祖父そして父へと続いていた我妻病院を継いだが、母からす れば心許なかっただろうと思う。言いたいこともあったと思う。それでも、私がやりやすいように支えてくれていた。自身も寂しくて不安で泣きたい時もあった だろうけれども、子どもたちの前では涙一つ見せず、当たり前の日常を作ってくれていた。
 おかげで私は確かに大変ではあったけれども、病院の継承をやり遂げて、今に至っている。
  そして、母は妻として薬剤師として病院を作り・支える立場から敢えて身を引いて、私たち若い者たちを主役に祭り上げてくれて、自分はダンスや合唱や絵画や ボランティアなどの多彩に活動の幅を広げて、自分の生きる場所を確立していった。そのステップの踏み替えは、普通には出来ないくらい、見事だったと思う し、そこに母の強い意志の力を感じている。

 我妻病院を守り育てる、その意味で私たち母子は戦友だった。
 守るべき陣地は違っていて、父の亡くなった当初はそれぞれに必死で、労り合ったりなどということはなかったけれども、互いの闘いを横目で見ながら、それを支えに闘ってきたのだと思う。
 8年前に結婚するまでの17年間一緒に暮らした。
 この間、親子げんかも小競り合いから大競り合いまでこなしながら、時に大きな存在故に、目の上のたんこぶであったり、何よりもの支えであったりした人が、今はもういない。二度と会えない。
 結婚を機に歩いて5分の所に住むことになったが、離れていても、母の存在を感じない日はなかった。年齢を重ねていく毎に心配を増やしたりしながら、母のことを意識して日常を過ごしていたように思う。
 だからこそ今、「母の不在」に慣れることが出来ないで居るのかもしれない。そして、そのことの寂寥は量りがたい。
 
 「我妻敏子」という遺志の力で人生を前向きに捉え、凛として生き抜いた女性の娘として、彼女の娘であることを誇りに、その生き方に恥じない生き方をしなければいけないと、自分に言い聞かせている。
 乗り越えるべき相手にさっさと去られて、私は誰を目標に生きたらいいのかと思うときもあるけれども、むしろ「不在によってより明らかになった存在」を常に感じながら、日々を生きていくしかないのかもしれないと感じ始めている。

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