カテゴリー:日々清々 更新日時 2025/09/09
ついに最終回を迎えた松本潤さん主演ドラマの「19番目のカルテ」が私の界隈では評判である。始まる一ヶ月前に札幌で開催されたプライマリケア連合学会の会場では学会所属の医師による監修がされていることが報告され、学会の期待もうかがえる。
東京MERのような救急医療の現場の派手さもカッコ良さもないけれど医療が細分化された今だからこそ必要とされる総合診療・プライマリケアは「病気ではなく人を診る医療」。学会ではその診療の実相を世の中に知っていただく好機としてとらえていた。
私がプライマリケア連合学会の認定医として日々患者さんたちと向きあう中でずっと思い続けてきたことがある。
心療内科医として教えを受け、地域に戻ってプライマリケア・総合診療医として仕事をしてきて30年以上が過ぎた。文字通り日々「身近な立場で継続的に、責任ある医療を他の職種や家族とともに提供していくこと」「病気ではなく人も診ること」や「全人的医療」=「身体(体)」「精神(心)」「社会的(家族関係や立場)」「霊的(人としての存在の意味)」の各側面からその人の困りごとを丸ごと診療(診て治療)する医療を目指してきたと思っている。そして、それはいつしか患者ー医療者関係において相互性を以て私の成長や安定性をもたらしてくれるものとなった。
90歳を越えても歩いて受診される独り暮らしのAさん。「年々生きることが辛い」とおっしゃる。単に体力や認知機能の低下のことを言われているのではない。私が診ている分にはむしろ年齢の平均以上に何もかも自分でできる。でも、親しい人の死を見送り、自らにも死が近づいていることを実感するとき、生きる目的や必要とされている実感のない日々は「つらい」のだろうと推測する。私の診療は血圧を測り、時々採血などして「体」を診つつ、お話を伺い、人生の部分的な伴走者として、Aさんには残りの人生にも豊かさのあることをそれとなくお伝えすることに尽きるような気がしている。たとえ明日死ぬとしても今日をより良く生きることがAさんならできると少なくとも私は信じているから。
70歳になったばかりの私であるが、幸い、Aさんの気持ちの端っこはわかる。未来が無限にあるように感じていた若い時代。努力さえすれば何でもできる、なににでもなれるような気がしていた壮年期。人並みに失望や時に絶望や怒りや情けなさに涙した日々も含めて、今がある。そのことを若い人たちに実感を以て伝えられるように、年を取っていくことの怖れや不安もまたご高齢の方たちと共有することもできる。これが「亀の甲より年の功」である年寄り医者の効能効果なのだ。
今回も朝ドラ「寅に翼」について。 「寅に翼」は日本で最初の女性弁護士で裁判官にもなった寅子さんの物語で、そろそろ終盤である。 このドラマは見れば見るほど、良くできている。…(続き)
夏になるとクリニックの周りや私の周りに妖精さんたちが現れるようになる。 妖精さんたちはたくさんのトマトや茄子やレタスやささげやとうきびなどなど様々な野菜を持ってきてうれしそうに手渡して下さ…(続き)
最近、固い話ばっかりだったので今回は朝ドラ「寅に翼」について語ってみる。 老健を廃止してクリニックだけになったので、出勤が30分遅くなり、おかげで40年ぶりくらいにリアタイで朝ドラを見られること…(続き)
気がつけば「古希」だった。幸いにも目尻にしわは無く、マスクがほうれい線を隠してくれるのでぱっと見には古希には見えないだろうと鏡を自分で確かめて肯く。還暦を迎えたときには、古希のこの年まで仕事を続…(続き)
おしっこが近くなる。夜何度も目が覚める。老眼で読みづらい。聞こえづらい。(聞こえないのではなくて、言葉の聞き分けが難しくなる)たまにむせる。あちこちが痛くなる。云々 診察室の「おじいさ…(続き)