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看護師長

昭和49年岩手県立盛岡第二高等学校入学。花の女子高生活とは程遠い、汗と泥にまみれたハンドボール一筋の高校生活が始まった。入部した年に県大会優勝、 以来3年連続インターハイ出場を果たした。高3の9月新里コーチが入院した。。1年365日練習にコーチが来ない日はなかった。誰よりも厳しく怖かった が、ハンドに対する情熱と愛情を余すことなく私たちに注いでくれた人だった。病名は再生不良性貧血。1年生の時から「俺は百恵ちゃんと同じ病気なんだ」と 言っていた。当時山口百恵が白血病のヒロインを演じるTVドラマが流行っていた。コーチの冗談だろうと、誰も信じていなかった。私たちはあまりにも楽天的 だった。ガミと2人でお見舞いに行った。ベッドに臥床する人は私たちの知っているコーチではなかった。帰りは2人とも身体の震えが止まらなかった。怖かっ た、ただひたすら怖かった、そして声すらかけられなかった自分が情けなかった。コーチのために何もしてあげられない自分が悔しかった。お見舞いは1度だけ で終わった。
10月私の進路が決まった。看護婦になる!

 今我三意会で勤めて14年。実はここにもいたんです、コーチのような人が。地域医療にすごい情熱と愛情をもって取り組んできた池田理事長、そして彼を支える千鶴先生。私のナースの道はまだまだ続きそうです。

看護師長

2010年04月06日 オバQと一緒に看護した頃

 20代の半ば、手術室の看護について悩んでいた時期にA君と出会いました。術前訪問に出向き、「明日手術を担当する...」とかけた言葉に振り向いたA君は、次の瞬間お母さんに飛びつき、まるでカタツムリの…

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これまでの更新

看護学生の頃

「あなたは明るすぎて看護婦にむいていない」。 整形の実習が終わった時に教務の先生から言われた言葉だった。 当時は4週間の実習中に2人の患者さんを受け持った。 一人目はリウマチの方だったが、同…(続き)

私たちの行うターミナルケア

我妻病院は昨年開院75年を迎えました。現在もさまざまな医療活動を通して地域で暮らす方たちを支え守り応援しています。 肺がんで入院されたAさ ん。誕生日、結婚65年のお祝い、お正月の温泉外泊支援な…(続き)

成長するナースたち

「指きりげんまん うそついたらハリセンボンのま~す」 ハリセンボンが実はハリセンボン科の硬骨魚で全身が鋭く長いトゲでおおわれた魚であることを知ったのはずいぶん大人になってからだった。   ナース…(続き)

続 師長を育てるナース達

日記を書き続けて14年になる。3日坊主の私としてはめずらしいが、10年日記なので、去年の今日は、おととしのの今日は何があったかな~と、読み返すの が楽しみでもあり続いている。 「10年日記」2冊目…(続き)

師長を育てるナース達 

今の私、師長として点数つけたら何点だろう?  2年前、平成15年の今頃、ナースOさんが「師長おみやげです!」と星型の容器に入ったお菓子をく れた。ディズニーランドからのお土産だった。その何年も前…(続き)

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